お葬式で祭壇の両脇に飾る葬儀供花(生花といいます)は、故人の親族を中心に生前故人とお付合いのあった友人や会社関係の方が出します。葬儀の打合せの時に、農協の葬儀担当者に葬儀供花(生花)の手配をお願いすることもできますが、普段お付合いのあるお花屋さんがありましたら、お花屋さんに葬儀供花(生花)の手配をお願いすることをお勧めします。
以前は、葬儀用供花(生花)は菊の花に少しユリと蘭の花を入れたのが主流でしたが、近年お葬式の形も変化してきており、洋花を使った様々な色のお花で飾るようになってきました
生前に故人の好きだった花や色相など細やかな要望を伝えるのに農協の葬儀担当者を介してお花屋さんに伝えるより(農協の葬儀担当者に手配を頼んでも、結局お花屋さんが製作します。)直接お話をした方が、要望が伝わりやすいです。
費用に関しても、普段からお付合いのある顔見知りのお花屋さんに相談した方が、いろいろとサービスしてくれるので安く抑えることができると思います。
これは、盛篭や返礼品についても同じことが言えます。農協の葬儀担当者にお願いすれば、手配してもらえるのですが、任せきりにしないで自分でそれぞれの手配をすると多少大変ですが、葬式の費用を抑えてることもでき、納得のいくお葬式となると思うのでお勧めします
近親者が亡くられた時に、遺族が直面する問題は遺体の搬送となります。
病院で亡くなった場合は、医師によるご遺体処理のあと霊安室に運ばれますが。
(安置できる時間は2~3時間程度の時間です。)
故人を病院から自宅、または安置施設などに移す必要があります。
かかりつけ医などがある場合には、医師によって死亡診断書を書いてもらいますが、死因を確定するために検死が必要となる場合もあります。検死が済んだ遺体の搬送は遺族に任されますが、この時も葬儀屋さんに依頼します。
お葬式(葬儀)に関しては、故人の宗教や意思があったり、遺族の希望があったりするのでなければ、業者ごとに用意されているプランを利用する方法が安心です。
もちろん、オリジナルのお葬式(葬儀)をプロデュースしてもらう方法もあります。ごく身内だけが参列し、心を込めて故人を偲ぶ「家族葬」「一日葬」などの要望があれば、小さなことでも葬儀屋さんに伝えるようにしましょう。
知合いの葬儀屋さんに相談することのメリットとは
知合いの葬儀屋さんがいてよかったという声には、「どうしていいかわからない時に、連絡したらすぐに対応してくれた」というものも多いです。
日常の生活の中で、葬儀の事前相談を行っている人は別として、もしもの時にどの葬儀屋さんに連絡すればいいか、わかっている人は少ないでしょう。慌てて探した葬儀屋さんに依頼して、「後から法外な葬儀費用を請求されたら困る」という心配もあると思います。
知合いの葬儀屋さんに依頼する最も大きなメリットは安心感です。
地域の行事などで面識があったとか趣味などを通じて知り合った友達が
葬儀屋さんに務めていた。お子さん同士が学校などで友達だった。
過去に葬儀を依頼したことがあり以来お付き合いが続いていたなど、
さまざまなケースがあります。顔を知っているかいないかでは、
万一の時の安心感が格段に違います。
知合いの葬儀屋さんに依頼することでデメリットもあります。
日ごろのお付き合いの中で、葬儀屋さんと信頼できる関係が築けていたとしても、
それぞれの葬儀屋さんによって、得意分野と不得意分野はあります。
お葬式の中でも大切にしたい部分が、知合いの葬儀屋さんにとっては
必ずしも得意な部分とは限らないということを頭に入れておいた方がいいでしょう
また、できるだけ費用を抑えてたくさんの生花で故人を送りたいとかお花に関することは、お花屋さんに相談するといいでしょう。
◆エンバーミング
遺体衛生保全と訳される。遺体への消毒、防腐、修復、化粧の処置の事。血液や腹腔部の体液を排出して防腐剤を注入あるいは詰めるなどして遺体の消毒・防腐を図り、さらに破損した遺体の復元を行う技術で、北米で発達した。日本では平成7年に「日本遺体衛生保全協会」(略称IFSA)が設立され、エンバーミングの基準の確立と普及に努めている。この技術により遺体が衛生的に保たれ、感染症の危険がない故人とのきれいな別れが可能となるという意見がある一方で、生きているように保全することで死のタブー化につながるという意見もある。また、遺体衛生保全技術者(エンバーマー)の養成や資格の問題、法制面の整備など課題も多い。
◆引導
葬儀式の際、導師が死者に与える法語を述べて死者を浄土へ導き成仏させるためのもの。一般にも「引導を渡す」などと言い、「あきらめさせる」意味で用いられる。本来は迷妄の衆生を仏道に引き導く事をいう。浄土真宗を除く各宗で行われている。
◆戒名
授戒によってつけられる仏教徒としての名前。本来は仏法に帰依した者に対して生前に授けられる名前であるが、江戸時代の檀家制度以降は「没後作僧(ぼつごさそう)」といい、故人にたいして授けられることが一般的になった。現在では、葬儀・告別式が終わり、霊柩車に棺を納めた後、遺族が位牌や遺影をもって並び、遺族代表が会葬者に謝辞を述べることが多い。また各宗教によって法名、法号ともいわれています。
◆三途の川
死んで七日目に渡るといわれる「この世」と「あの世」を分ける川とされる。三瀬川、葬頭川、渡川などとも呼ばれ、川中には三つの瀬があり、それぞれ緩急が異なっており、生前の行いにより橋を渡れる者、深みを渡らなければならない者に分けられるという。川岸には脱衣翁と脱衣婆のニ鬼がおり、死者の着物を剥ぎ、木の枝に懸けるといわれている。棺の中に納めている六文銭とは、三途の川の渡し賃と言われる
三途とは、地獄道、餓鬼道、畜生道の三道のことを指し、地獄道は火に焼かれることから火途、餓鬼道では刀によって苛まれることから刀途、畜生道では互いに食い合うことから血途と呼ばれる。広辞苑よ
◆彼岸
正しくは「彼岸会(ひがんえ)」といいます。春分の日、秋分の日を中日と七日間を春、秋分の日を中日とする七日間が秋。春分、秋分の日をはさんで前後1週間、先祖の供養をしたり、お墓参りをする行事です。インドにも中国にも見られない日本独自のものですが、「彼岸」という言葉自体は仏教用語です。サンスクリット語の「パーラミター(波羅密多)」の漢訳の「到彼岸(とうひがん)」を略したもので、向こう岸すなわち仏の世界に至ることを意味します。仏の世界に至るために実践しなければならないとされる六つの徳目が「六波羅蜜(ろくはらみつ)」(布施、持戒、忍辱、精進、禅正、智慧)であります。つまり本来は先祖供養のための日ではなく、仏の世界に行くことを願って慎む期間とされていたのでしょう。春分、秋分の日は昼夜の長さが同じになるので、仏教の説く「中道」の教えにかなうとか、太陽が真西に沈む期間なので、西方極楽浄土におられる阿弥陀仏を礼拝するのにふさわしいとか、いろいろな説があるようです。が、日本では「暑さ寒さも彼岸まで」というように、季節の変わり目にあたり、昔から農耕の1つの区切りとして祭りが行われていた時期でもあり、それが仏教の思想と結びついて、年中行事として定着したのでしょう。この期間は寺院では「施餓鬼」などの法要が催されたり、地獄、極楽のの絵図をかけて説法したり、念仏や題目の講が開かれたりしています。日常、仏寺に無関心な人も、この時期だけはお墓参りすという人がほとんどでしょう。
◆白装束
一般的に白装束とも呼ばれ死出の山を旅する旅姿である。浄土真宗では、死出の山路を旅するという考え方もないため、決められた死装束はない。また、浄土宗では死装束を浄衣と呼ぶ。ほとんどの場合、遺体が硬直していて着せることが困難なため、故人の体に掛けるだけの方が多くなっている。また死装束にこだわらず、生前好きだった洋服を着せたりかけてあげる方も近年増加傾向にある。
◆出棺
棺を祭壇から降ろし、遺族が最期の対面をし、花や副葬品を棺に入れてから棺の蓋を閉じ釘打ちを行う。この時点まで釘を打たないでおくのは、死の判定が不明確であった時代に行き返ることを想定していた事の名残りである。出棺に際しては、足の方を先にして霊柩車まで運ぶ。地方によっては座敷きを塩で清め掃き出すなどさまざまな風習がある。葬儀・告別式が終わり、霊柩車に棺を納めた後、遺族が位牌や遺影を持って並び、遺族代表が会葬者に謝辞を述べることが多い。
◆焼香
仏や霊に対し、自らの身心を清めるとともに敬虔な心を捧げて香を焚くことにより、故人の霊を供養すること。法事や通夜では線香が、葬儀では抹香が用いられる事が多い。焼香する回数はそれぞれの宗派の考え方により異なる。通常、祭壇の手前などに焼香台を設置しその上に抹香を入れた香盒(こうごう)と香炉を置くが、香盒と香炉をセットにしたものを盆に乗せて参列者に回しながら自分の席で焼香することを回し焼香と呼ばれる。この香炉の脇に小銭を置くなどの習慣を持つ地方もある。
◆浄土宗
衆生を救おうとする阿弥陀仏の本願(誓願)を信じて「南無阿弥陀仏」と唱えれば、誰でも極楽浄土に往生する事ができると説く教え。法然(1133~1212年)を開祖とする。総本山は智恩院。それまでの仏の教えを理解して戒律を守り、修行をしなければ悟りはひらけないとする考え方(「聖道門」あるいは「自力」と呼ばれている。)から「浄土門」あるいは「他力(阿弥陀仏の本願の力に頼る事。いわゆる他力本願。)」と呼ばれる万人救済の道をひらいたところに重要な意味があり、これにより仏教が一般民衆にも広がり大衆化された
◆浄土真宗
親鸞(1173~1262年)は法然の往生念仏の教えのなかから、親鸞なりの解釈をし、さらに進めた思想にたどりついた。その思想は、自力(自己のはからい)を捨て、阿弥陀仏の本願力におまかせすることによってのみ救われるとした絶対他力である
◆真言宗
弘法大師空海(774~835年)によってはじめられた密教宗派。真言宗では永久不変の実在であり宇宙生命の根源である大日如来によって仏教の真髄が明かにされたとする。そしてその大日如来と一体となる事によって、即身成仏できるとした。密教で用いられる曼荼羅は、この教えにより得られるこの世界を表すものである。現在は、大きく古義真言宗(高野山真言宗など)と新義真言宗(智山派、豊山派など)に分かれている。高野山真言宗は金剛峯寺を、また真言宗智山派は智積院(ちしゃくいん)、真言宗豊山派は長谷寺をそれぞれ総本山としている。
◆神葬祭
神道式による葬儀。明治以前は檀家制度のもとで民衆の葬儀はもっぱら仏教が担っており、神葬祭は表向き江戸幕府から許されたのは天明五年(1785年)吉田家から許可状のある神道とその嗣子のみであった。明治維新の後に檀家制度が廃止され「自葬祭禁止の布令」が出されてからは一般にも可能となった。神葬祭が形作られたのは幕末か明治にかけてであり、全ての神職に開かれたのは戦後のことである。「神葬祭」という言葉自体、仏教葬儀に対抗するためのものであった。神葬祭の儀礼は、まず神棚と祖霊舎に帰幽(死亡)を奉告し、その前面に白紙を貼る。そして病気の平癒などを祈願した神社があればその神社に代参(代わりの人)を派遣するか遥拝(遠くから礼拝)して祈願を解くなどを行う。
◆生前葬
地域によって生まれ代わりの儀式として古くから行われていたが、現代の生前葬は「死んでからではなく、元気な内に仲間に会っておきたい」という気持ちから行われるもので、招待する人、式次第などを本人の思い通りに出来る良さがある。葬儀・告別式のうち告別式だけを先取りして行うという考えからなっている。
◆火葬
「荼毘」とも言う。古くはインドで行われた。釈迦が入滅時に、その遺体が荼毘に付されて以来、火葬が仏教徒の葬法となりました。古代日本においては、死者は白骨化して初めて浄化される存在であり、腐敗途中に有る死体は死霊が取り憑いた存在として忌避された。そこで、火葬は死体を焼却する事によって肉と骨の分離を素早く行う事が出来ることから、死者や死霊に対する恐怖の念を緩和することに役立ったと思われる。わが国では、文武天皇の四年(700年)、道昭という僧が遺言により火葬されたのが始まりです。宮廷では大宝三年(703年)持統太上天皇の葬儀が火葬で行われているとされていますが、これは記録上のことで、実際にはもっと早くから行われていたようです。当時は皇族などごく一部の人々のみのものであったが、中世後期以降になると北陸の浄土真宗地帯を中心に火葬は庶民にも普及。近世になり江戸中期以降は特に武家を中心に普及した。火葬は元来は薪をつみ上げた野焼き方式であったが、近世に入るとかま式となり、焼場は各地の仏教寺院に置かれ、三昧所または火家と呼ばれた。当時の火葬率そのものは二割未満で、圧倒的多数は土葬であった。
近代に入ると、明治政府は伝染病予防のために公衆衛生の観点から火葬を推進した。太平洋戦争後は行政が積極的に近代化と福祉の観点から火葬を推進し、行政の責任において火葬場を設立しました。近年は火葬場建設反対運動への配慮もあって、煙の再燃処理を行い、無臭、無煙、無公害化を実現した火葬場が年々増えてきています。最近では「斎場」と呼ばれることが多い。
欧米の火葬が骨灰にするのに対し、日本では遺骨を大切にする風習から、遺骨の形が残るのほうが良いとされる。火葬後の「拾骨(収骨、骨上げ)」の儀礼も葬儀の重要な位置を占める。日本列島の東部は主として全部収骨であり、西部は一部収骨と大きく異なっている。
◆玉串
榊の枝に紙垂(しで)や木綿(ゆう)といわれる半紙を切ったものと、麻の糸をつける。神に捧げる幣帛を簡略にしたものと言われる。玉串を神に捧げることにより、神に願いが伝わるものとされている
◆通夜
夜伽などとも呼ばれ、死者を葬る前に家族や近親者などが集まり、遺体の側で線香を絶やさない様にするなど、一晩中死者に奉仕するものであった。また死者に添い寝をする習わしの地方もあった。最近では、死亡当日にはごく近い親族や友人のみによる仮通夜を行い、弔問者を受け入れる本通夜をその翌日に執行するケースも見られる。仏式では、僧侶による読経と焼香が行われ、寺院によってはその後に法話もある。さらに通夜振舞が用意される。神式では、通夜祭・遷霊祭が行われる。遷霊祭とは故人の霊を遺体から霊代に移す儀礼であり、これによって故人の霊は神になるとされる。この後直会(なおらい)と呼ばれる通夜振舞の席が設けられる。キリスト教式では本来通夜にあたる儀式は存在しなかったが、日本の慣習に倣い、カトリックでは通夜の儀式が、プロテスタントでは「前夜式」と呼ばれる儀式が行われる。
ごく近い親族や地縁関係者によって一晩中営まれるものであった通夜も、現在では会社
◆天台宗
伝教大師最澄(767年~822年)が唐に渡り、中国の天台宗をはじめ、密教、禅法、大乗の戒律(菩提戒)の四つを日本に伝えた事に始まる。比叡山延暦寺を総本山とする。最澄の死後は次第に密教としての性格を強める事となった。鎌倉時代に出現した新しい仏教宗派の創唱者がいずれも比叡山を経由して生まれていることからもわかるように、そのほとんどが天台宗を基礎としているといえる。後世に大きく影響をおよぼした天台宗は日本の仏教を語る上で欠かす事の出来ない存在といえる。
◆卒塔婆
仏を供養して故人の追善にしようというもの。これを埋葬地に立てる。埋葬時や年忌、法要、お盆、お彼岸などに供養する時など一般に使われている。宗派では浄土真宗は用いない。一般的には「塔婆」と略して呼ばれ、木の板で長さも種類がある。
◆日蓮宗
鎌倉時代に成立した日蓮(1222~82年)を開祖とする宗派。久遠寺を総本山とする。「法華経」こそが釈尊の教えの真髄であるとし、人々に「南無妙法蓮華経」と唱える事によって、仏の功徳と成仏が与えられると説いた。さらに日蓮は、法華経に描かれた世界をこの現実の世において実現させようとする積極的な実践をすすめ、仏国土を建設しようとする「立正安国」の実践を主張した。
◆数珠
念珠ともいう。珠に穴をあけ、糸などでつないだ仏具で、手に掛けて使用する。宗教によってさまざまな種類があるが、八宗兼用のものも作られている。珠の数では、百八個が基本。本来はお経を読んだり念仏を唱える際、その回数を数える為の物であったが現在では葬儀の際に心を清め、威儀を正す為にもつとされる。
◆喪主
通常、喪主と施主は一緒であるが、喪主は葬家の代表者として葬儀(祭祀)を執行する人のことである。これに対して施主は布施する主という意味を持ち、葬儀の費用・運営の責任者のこと。
◆喪服
本来、葬儀に参列するすべての人が着用するものでなく、喪に服すべき近親者などが着るものであった。日本の伝統的喪服は白だったが欧米の影響もあり黒とされるようになった。近親者が死亡したとき一定期間喪に服すること。現在日本では、和装喪服と洋装喪服がある。和装の場合、男性は黒羽ニ重染め抜き五つ紋の羽織、仙台平の袴、帯は角帯、足袋は白または黒、ぞうりの花緒も白か黒にする。女性は黒無地染め抜き五つ紋付で冬場なら羽ニ重か一越ちりめん、夏は平絽か紗を使用し、下着と半衿は白、帯は袋帯の黒無地を使用するが、流水、雲どり、紗綾形などの地紋があってもかまわない。帯締めや帯揚げも黒、足袋は白、ぞうりやバッグは黒にして装飾品は控える。洋服の場合、男性はブラックスーツに黒ネクタイ、ワイシャツは白、靴下は黒にする。昼間の正式礼装はモーニングコートになる。女性は黒無地のアフタヌーンドレスが正式だが、黒無地のワンピースやスーツ、アンサンブルでもかまわない。ただし、季節に関係無く長袖が基本である。ストッキングは黒、靴も装飾の無い黒、アクセサリーは控える
◆遺言
法律上では「いごん」と読む。民法で遺言として認められているものは自筆証書遺言(遺言者本人が全文、日付、氏名を書き押印したもの。代筆、タイプライター、ワープロによるもは無効)、公正証書遺言(遺言者の口述を法務大臣任命の公証人が筆記したもの。証人は二人以上が立ち合い遺言者及び証人が署名・押印することが必要)、秘密証書遺言(遺言者が署名、押印した証書を公証人が役所に提出し公証人と証人二人が確認したもの)、死亡緊急時遺言(3人以上の証人立ち合いのもと、遺言者の口述を証人の一人が筆記し遺言者に確認させたあと20日以内に家庭裁判所の確認を受けたもの)この他に特殊なケースで難船者遭難遺言、伝染病隔離遺言、在船者遺言などがある。これらの方式に従わない遺言は無効となる。遺言によって、人はその財産などを、誰に対してどのように処理するか決めておくことが出来る。